コラム of 風水優李の運命占術研究室ジョーティシャ

インド占星術/西洋占星術/タロット/マヤンオラクル/ルノルマンカード 印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 |

コラム

コラム

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます

(過去ブログより)
2012年ですね。

すっかりご無沙汰してしまいました。

今年は何やら騒がれている2012年ですが。

例年どおり、やるべきことをやる心づもりでおります。

今年もよろしくお願いいたします。

また、これは予告になりますが

今年は春ごろをめどに、新たにインド占星術でのお試し鑑定を始めたいと思います。

とりあえずはお試しということで、リーズナブルなお値段で始めるつもりですので

興味がおありの方はどしどしお申し込みください。^^

ちなみに、インド占星術は鑑定に時間がかかりますゆえ(まだこちらは未熟者ですゆえ)

当面はメール鑑定のみにさせていただきます。

詳細はまたインフォメーションでお知らせいたします。

そんなわけで。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

風水優李

癒しフェア2011無事終了

癒しフェア2011無事終了

ご報告遅れましたが、

8月6日(土)7日(日)東京ビックサイトで開催された「癒しフェア2011」で、今年もナチュラルスピリットのブースにおいて私のマヤンオラクルおみくじが販売されました。

私も初日6日にブースへ顔を出しに行きましたが、昨年に比べると全体的にお客さんが少ないように感じました。

どこのブースも、なにやら閑散としてる・・・・・・

ちょっと心配しておりましたが、翌日7日の日曜日は土曜日よりは入った模様。

マヤンオラクルおみくじは今年も好評をいただいたそうで、本当に嬉しい限りです。

ありがとうございます!

そんなわけで、無事終了いたしました。

ナチュスピの営業さんとお話したんですが、マヤンオラクルは現在品切れ中だそうで、増刷の予定が立っていないそうです。

以前聞いた話ではマヤンオラクルのカードのサイズにも一因あるみたい(普通の定型ではない真四角の特注サイズなので)ですが、やはりマヤンオラクルは貴重なカードになってしまっています。

私も以前マヤンオラクルを手に入れようと思っていてなかなか手に入らなかった頃、すでに手にしていた友人が、「マヤンオラクルはすごく高次元なカードだから、必要な人にしか手に入らないのかも」と言っていたのを覚えています。

だから、きっと必要になったら手に入るよ!と言われて、なるほどそうか。と納得。

しばらくして、本当にいいタイミングで手に入ったのでした。

今更こんなこと言うのもなんですが、マヤンオラクルおみくじを作っておいてよかった・・・と思いました。

本物ではないにしろ、その時のその人に必要なマヤンオラクルのカードが手に入るわけですから。(しかも100円だし)

もともと私もそういうつもりで作成したんですけども・・・・

昨年のお話でしたが、購入されたお客様の中には、おみくじを読んで感極まって涙する方もいらしたと聞きました。

その様子は、見ているスタッフの方たちも感動してしまうくらいだった、とご報告いただいたのが、今でも忘れられません。

ナチュスピブースでおみくじを販売してくださることになって、本当によかったと思っています。

しかし・・・

やはりマヤンオラクルの増刷は願ってやみません・・・・・
(この後、2011年11月後半に増刷されました!)

マヤンオラクルおみくじ再登場します!

マヤンオラクルおみくじ再登場します!

昨年、東京ビックサイトで開催された「癒しフェア」の

雑誌「スターピープル」の出版社であるナチュラルスピリットさんのブースで、

私が考案した「マヤンオラクルおみくじ」が販売されましたが、

おかげさまでお客様にも好評だったそうで

今年もまた、ナチュラルスピリットさんのブースで販売されることになりました!

また近くなったら詳細をお知らせしますが、

今年の日程は 8月6日(土) 7日(日) の2日間です。

現在、対面セッション等の全てのセッションを休止中ですが、

今後も再開は考えておりません。

ですので、ぜひこの機会に

マヤンオラクルおみくじに会いに来てください^^
癒しフェアおみくじ.JPG

素晴らしき生命力

素晴らしき生命力

ずいぶんとご無沙汰してしまいました。

3月11日の大震災後初のブログになりますね。

スターピープルのウェブ連載のほうはずっと更新しておりますが、私のほうも3月11日以来ドタバタしておりました。GWを終えてようやく落ち着いてまいりました。

震災の日は私も震度6弱のところにおりまして、非常に怖い思いをしました。

初めて地震で足が震えました。そして初めて地震が怖いと思いました。

でも被災地の方々のことを思えば、たいしたことでありません。

スターピープルのウェブのほうでも記しましたが、心からお見舞い申し上げると同時に、1日も早い復興を願ってやみません。そして私も、私にできる範囲でささやかでも復興支援ができたら・・と思っています。

最近ようやく余震も落ち着いてきたかな?と思う今日この頃ですが、

ふと気がついたら我が家のベランダがスゴイことに!

DSC_0001.JPG

ずいぶん前に強風で枝がぽっきり折れてしまって、わーどうしよう(><)と思っているうちに

気がついたら見事な花が!写真には写ってないですが、奥にも花の大群が!

枝(というか幹?)がほぼ根元のほうから見事にぽっきり折れているため、花が下から咲いてます(汗)

枝が折れたすぐ先はすでに枯れているのに、枯れた枝の先から新しい枝葉が生えて、そこから花が咲いてるんです。

信じられない。

スゴイ生命力じゃありませんか??

勢い余って窓にぶつかってるじゃないの・・・・

窓開けると完全に部屋の中に花が侵入・・・・すごすぎ(汗)

窓にぶつかってかわいそうなので、この後少し花を摘んであげました。

摘んだ花は亡き両親に捧げました。

ちょうどこのGW中に母の七回忌をやりまして。時間の経つのは早いものです。

多くの方が生と死に直面させられていますが、そんな簡単に傷が癒えるものでもありません。

それは私もよく知っています。

だからせめて。

この凄すぎる花の生命力に感動しながら、被災地の方々にもこの自然のパワーを分けて差し上げたい想いで。

この写真から生命力が伝わりますように。


善光寺「灯明祭り」と中国茶

善光寺「灯明祭り」と中国茶

今月の5日~14日まで長野の善光寺にて「灯明祭り」という催し事が開催されていますが、

その灯明祭りに我が親友・中国茶インストラクター兼高級茶藝師の飛鳥ちゃんが、「五灯茶カフェ」という中国茶サロンをなんと善光寺内の釈迦堂(世尊院)にて開催するというので、ワタクシ平日のお仕事をお休みして長野まで行ってまいりました!

ちなみに「灯明祭り」というのは今年で開催8年目らしく、長野五輪にちなんで「世界を平和の灯でともそう」というテーマで午後6時から9時の間、善光寺内を綺麗な照明でライトアップするというもの。

その照明も照明デザイナーで有名な石井幹子さんがプロデュース。非常に美しかったです!

さて、中国茶サロン「五灯茶カフェ」ですが、釈迦堂の内部って普段は一般人は入れないそうで、今回縁あって釈迦堂での中国茶カフェを開けることになったそうです。

 ↓は中庭。いい具合に雪も残ってます(*^_^*) 
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お部屋は茶室にアレンジされています。
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そして↓の写真が私が案内されたお茶室。中央に座っているのが飛鳥ちゃん。茶席の主人として中国茶を淹れてくれました。
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ちなみにこの茶席全体も飛鳥ちゃんのコーディネート。

今が時期的に春節(中国のお正月)ということで、中国ではおめでたい赤をメインにしたそうです。

IMG_0005.JPG←は「東方美人茶」という茶葉。

烏龍茶の一種で、お味はちょっと紅茶に似ています。
1煎めはとても甘みが出てました。2煎め、3煎めと淹れていくうちに
徐々に甘みから深みが出てきました~(*^_^*)

どちらもみんな美味でした。

中国茶って、同じ茶葉でほんとにいろんな味を堪能できるんです。
その変化がとても面白いし、味の妙というか、深みを感じます。
IMG_0006.JPG

↓の写真は淹れてくれたお茶と、パティシエが茶席のために作ってくれたお茶菓子。3種類とも洋菓子に和の味を取り込んでました。中央のココアのケーキに緑茶の粉末をまぶしたもの、左奥はお茶(玄米茶?だったかな)のケーキにベリー系のソース、右奥のおさじに乗ってるお菓子はチーズケーキの上に胡椒(ペッパー)をまぶしたもの。
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どれもみんな美味しかったです~~~(*^_^*)

東方美人茶の次は↓の「秦(しん)←漢字違ってたらゴメンナサイ」という高山茶。春のお茶ということで、そのまま春めいた爽やかなお味でした。 
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お茶席は↓の写真のお部屋へ移動。今度は飛鳥ちゃんに教えてもらいながら、自分で淹れました!(*^_^*)
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楽しい~~♪  ちなみに写真奥の掛け軸の下にあるのは涅槃像。とっても貴重なものみたい。(小さくてわからない?)
これもまた1煎め、2煎め、3煎め・・・と味がどんどん変わっていきます。

東方美人茶は煎を重ねるごとに深みが増したのに対して、こちらのお茶は最初の爽やかさからどんどんまろやかに変わっていく・・・・・

自分でお茶を淹れながら、茶葉がお湯を含んでいく様子が私のツボにはまり、なんだか茶葉がかわいく見えてきて(*^_^*)

ああ・・・・私も茶器が欲しくなってきた・・・・・・・

そんな感じで茶席に出るたびにどんどん中国茶にハマっていく私でした。

そのうちほんとに茶器買ってるかもしれん・・・・・

お茶菓子がまたすごく美味しかったので、「できることなら買って帰りたいくらい」と言ったら、

なんと!お土産にパティシエのパウンドケーキを持たせてくれました!きゃぁ~~♪嬉しすぎる~~~\(◎o◎)/!

それがコレ↓
IMG_0015.JPG
ちゃんと 「世尊院 五灯茶」の文字になってます。

ちなみに手作りらしく「手書き」です♪

まだもったいなくて食べてません。

これから中国茶と一緒にいただきま~す!

平日の昼間ということもあって、飛鳥ちゃんとふたりでまったりと優雅に中国茶を堪能できました。

本当に飛鳥ちゃん、そしてカフェのみなさん、釈迦堂のみなさん、ありがとうございました(*^_^*)

そうそう、私が行く前だったそうですが、この五灯茶カフェに長野テレビの取材が入ったそうで、なんと!私がお茶席にいる間にちょうどその放送が放映されました!長野テレビだから放送は観れないね~なんて言ってたのに、茶室にあったテレビでその放送を釈迦堂の方やお客様と一緒に観れました。ラッキー!すごいいいタイミングでした。飛鳥ちゃんがお茶淹れてる様子が放映されてましたよ♪ 

その放送を写真に撮ろうとタイミング待ってたのに、いざその瞬間!とシャッター押そうとしたら、タイミング待ち過ぎて画面がスリープ状態に・・・(/_;) なぜこの瞬間に?っていうタイミングでした・・・・・私のあほ~(><)

  ↓は善光寺仁王門のライトアップ。
IMG_0012.JPG

下の写真は万華鏡のようなくるくる変化する照明になってました。綺麗でした!
IMG_0013.JPG

この3連休は天気大荒れですが、その前に行けてほんとによかったです。

このライトアップと中国茶カフェ「五灯茶カフェ」は14日までやってますから、ぜひ行ってみてください!

整形してないのに顔が変わる?

整形してないのに顔が変わる?

(私の過去日記からの抜粋です)
最近、しみじみ思うことがあります。

ムリをしてもがんばれるものと
ムリをしてもがんばれないものとがある、ってこと。

ホラよくあるでしょう?
「あの人はあんなにバリバリがんばってるのに
どうしてあなたはがんばれないの?」なんて言葉。(笑)
そんなこと、とーぜんですよね。
だってあなたはあなたであって「あの人」ではないのですから。
「あの人」はがんばれても、「あなた」はがんばれない。
これは「あなた」に根性がないわけでもなんでもなくて
単純に「その場に合っているのかいないのか」の違いだけだと思います。
その場に自分が合っているならムリをしてもがんばれる。
合ってないならムリするとビョーキになる、ってところでしょう。
人の体はなにより正直なので一目瞭然な結果が出るわけです。

傍から見たら死にそーなくらい多忙な「あの人」の顔はどんなでしょう?
目がつりあがってますか?
それとも元気で生き生きしてますか?
もし前者ならそれは完全に「無理」をしてます。
後者ならばその人のエネルギーは活発になっているのです。

先日、ヒーリングのスクールの先生が
とある雑誌に
「自分らしさを出せなかった時と出した後の違い」を載せていました。
実際にスクールに来ている人が事例として載せられたのですが
(もちろん本人の承諾済みです)
見てびっくりですよ。
まったく別人になってました。
私は今のその人しか知らないので、
「前」の写真を見てもそれがその人とはわからなかったのです。
その写真が本当に「前」の写真なのかどうかについては
もちろんスクールの同期生が間違いないと証言しています(笑)。
「前」のその人がいかに自分らしさを失っていたかがよくわかります。
整形してないのに顔つきがまったく変わってるのですから!

またある人は
「自分は今まで声が小さかったので、今日から声を大きくして話すことにします」
と言いました。
それからそれを実行してしばらくしてその人は
以前よりも体が大きく見えるようになったんです。ほんとなんですよ!
それまでは正直言ってどこにいるのかもわからなかったくらいなのに(^^;
今ではかなりの存在感を備えているじゃないですか。
それだけじゃありません。
大きい声で話すようになったら人付き合いまで変わってきたというのです。
周囲に聞いたら
「今まではなんとなく話しかけにくかったんだ」と言われたそうです。
今その人は新しい交友の輪も広がっているそうです。

自分に無理をしていたり、どこか誤魔化していたりすると
それってやっぱり表面に現われるのですね。
そしてそれがいつしか周囲にも伝わっていくわけです。
顔立ちのいい悪いではない本当の意味の「いい顔」をしている人には
嫌味も言う気持ちにはならないものです。

今のあなたはどんな顔をしていますか?

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障害者の気持ち

障害者の気持ち

(注:過去日記からの抜粋です。以前私は両足首のじん帯のほとんどが伸びきってしまうという大けがをしました。これはその頃のお話です)

かれこれ2年越しの治療をしていた私の両足首が
今日、先生から「もう何をしても大丈夫!」と
完治のお言葉を頂きました!

いや~・・・・うれしい ~

来週もう一度最終チェックは受けますが、
ほぼ大丈夫でしょう、とのことでした。

長かった・・・この2年・・・(涙)

足首に激痛が走って突然動けなくなった2年前の夏。
両足首をがっちり固定され、安静を言い渡され
途中何度も何度も痛みをぶりかえし・・・
そのたびに悔し涙を流し
固定が取れてもリハビリがなかなかうまくいかず
最後の最後までしつこく引きつっていた右足首も
もうまったく柔軟にくるくると動くようになりました。

これって、レイキとエネルギーワークのおかげでもあるんですよね。
両方からヒーリングしたら、途端に足首が柔軟に動くようになった・・・
あんなにどうしても引きつっていた足首が・・・

先生も
「どこかに恐怖があるんでしょう。動かすと痛い、という」
とおっしゃってました。
もう痛くないんだ、と頭ではわかっていても
きっと潜在意識レベルでは怖かったのかもしれません。

先月末、エネルギーワークで私のひきつっていた足首をヒーリングしてもらいました。
先生にはすべてお見通しでした。
「右足のほうが痛い?」って(当たってるがな・・・・)
不要なエネルギーが滞ってたそうです。

先日某TV局の24時間TVで車椅子の少女たちが出ていましたが、
私もひとごとではない気持ちで見ていました。
今でこそ動けるようにはなりましたが
おととしのお正月に美術館へ行ったときも車椅子だったし
去年の父のお葬式のときも車椅子でした。

自分の体が自由にならないというのは、本当にツラいのです。
悔しいのです。
涙が出るほど悔しいのです。
人に頼ることしか出来ない自分が悔しいのです。
だから、TVに出ていた車椅子の少女達が
練習でどうしてもうまく動けず壁に向かってうなだれている姿は
私にもズキンとくる姿でした。
さぞかし悔しかったでしょうね・・・

昔、車椅子の障害者を家族にもつ友人が言ったことがあります。
「私は障害者には同情しない」と。
なぜだと思いますか?
「障害者は障害者というだけでどんなわがままも許されると思っている」
と彼女は言ったのです。
その頃の私は単純に「そうなのかな」ぐらいにしか思いませんでした。

でも実は違うと今は思うのです。

車椅子でないと動けない自分が悔しくて
その怒りの矛先をどこにも向けられなくて
そして自分が思うことを人になかなか伝えられなくて
結果思ってることと違うことが帰ってきたりして
それが健常者にはわがままに映るんじゃないか、と
今では思います。

自分が思うことを自分でできればどんなにかよかったでしょうね。
でも、できない現実。
障害者用の補助付き杖で街中を歩いた私は
なんて障害者には動きにくい街なんだろうと思ったものです。
どこもかしこも階段や段差のあるところばかり。
普通の道を歩いていたって段がある。
目の見えない方用の黄色い凹凸のある道につまずいたこともあります。
駅に行けば昇りのエスカレーターはあるのに
下りのエスカレーターはない。(注:現在はかなり増えました)
実は下りのほうが重心がかかる分だけ障害者には辛いということ、
健常者にはわかっていない。
最近やっと少し下りのエスカレーターを見かけるようにはなりましたが。

とろとろと歩いていれば後ろからモンクを言われる。
人ごみを歩けば足を踏まれる。時にはぶつかられたり。

いつしか外に出るのが怖くなった私でした。

でも、嬉しかったこともあるのです。

補助つきの杖で電車やバスに乗ったとき、
すぐさま席を譲ってくれた人が多かったこと。

遠くの席に座っていたのに、
わざわざ私を呼んでその席まで連れて行ってくれた人。
私にぶつからないように慎重によけてくれた子供。

ほんとに嬉しかったです。
でも悲しいかな。そのほとんどはみな女性でした。
若い男の子が席を譲ってくれたときはすごく嬉しかったですが(笑)
中高年の男性が席を譲ってくれたことは一度もありませんでした。
まあお仕事でお疲れなんだと思いますが、
それにしたってねえ・・・・(そこまでこき使われているのもどうかと思うけど。)

「障害者には手を差し伸べよう!」
なんてキャッチフレーズを掲げても、
いったいどれだけの人がそうできるでしょうか。

ほんの少しの勇気。
でもなかなか出せない勇気。
私もそれまではそういう人でした。

でも自分がやっと杖ナシで動けるようになったとき
やっぱり杖を持ってる人やご老人や妊婦さんを見て
自然と席を譲っている私がいました。

「どうぞ。」

譲った相手の方はみなとても嬉しそうにお礼を言ってくれました。
中には自分が降りる駅に着いたら
わざわざ私を呼んで席を返してくれた人もいました。(笑)
降りるときにもお礼を言ってくれた人もいました。

五体満足で健康な私たちができること。
私たちにしたらとてもささいなことでも
障害をもつ人たち、ご老人その他不自由な人たちにとっては
ものすごく嬉しいことなんです。

ちょっとの勇気。
どうか出してあげてください。
それが私たちにできるささやかな贈り物です。

今日は「赤い銀河の空歩く者」の日。
マヤン・オラクルでは<ベン>。
赤い空歩く者(ベン)=空間・探る・勇気・感情をわかちあう
銀河の=無欠性を調和させる
過去の自分を振り返って自分のしてきたことを探ろう。
過去の反省から自発的な行為が生まれる。
・・・・とマヤは言っております。
うん?そういえば<ベン>はマヤ語で「杖」を意味する言葉だ・・・!(笑)
意識して書いたわけじゃないのに・・(^^;

感情をわかちあえば、自発的な行為も自然とできる、ってことですね。

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「慈悲」とは?

「慈悲」とは?-五木寛之さんの著書「愛に関する12章」

(私の過去日記からの抜粋です)

新聞の広告記事でふと目に止まって買ってしまったのが
五木寛之さんの「愛に関する12章」という本。
けっこう読みやすいです。
まだ途中ではあるのですが、その中で
「慈悲」について書いてありました。

「慈悲」
これを通訳では「LOVE」と訳すそうです。
日本に来た外国人に仏教について説明する時、
「慈悲の心」の「慈悲」を「LOVE」と通訳して
外国人は納得しているそうですが、
五木寛之氏はその「LOVE」の訳語に少々疑問をもたれてるそうです。

「LOVE」
「愛」です。もちろん。
「慈悲」も「愛」です。いうなれば。
けれど、「愛」なのに
「慈悲」の言葉に「悲しい」という文字が入っているのは
なぜなんだろうか?と。

「慈しむ」「悲しむ」がイコール「愛」というのに
どこかピンとこないのだとか。

「慈悲」はもともと
サンスクリット語のマイトリーとカルナーという
二つの言葉を訳したものなのだそうです。
マイトリーが「慈」
カルナーが「悲」。

「愛」。
これも定義するには難しい言葉ですよね。

「大丈夫!」といって前に向かせる愛もあれば
ただじっとそばにいて一緒に悲しむのも愛。
・・・と、氏は書いています。
愛にもいろんな形があるわけです。

「慈悲」
そう考えるとなかなか深い言葉です。

すべてを包み込んで受け入れるという大きな愛の中には
悲しみを分かつことしかできない
という辛い愛も含まれているんですよね。
病気の身内を持っている人だったらとてもわかりやすいかもしれません。
「頑張って」と言えない辛さ。
ただ祈るしかできない辛さ。
自分は無力だと感じる辛さ・・・・
だからせめてそばにいて苦しみを分かち合おうという気持ち。

でも五木寛之氏の言うように
それすらも愛なのかもしれません。



今日は「白い共振の風」の日。
マヤン・オラクルでは<イーク>。
白い風<イーク>=霊・伝える(呼吸)<二極性の統合>
共振の=呼び起こす
自分が不十分だと感じたことを反省する。その中に
不満を解消するカギがある。
・・・と、マヤは言っております。
「慈愛」と「悲愛」・・・二つ揃って「愛」なのだと氏は書いてます。


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砂漠を森に変えた男

砂漠を森に変えた男

(私の過去日記からの抜粋です)

「プロジェクトX-挑戦者たち-」たまに見るんですが
実はけっこう好きだったりします。
困難に立ち向かう人たちのドキュメント。
今回は中国のゴビ砂漠の広がる砂漠化を防ぐべく
植林をして森に変えていった人たちの記録でした。

最初に腰をあげたのは今95歳の元大学教授でした。
鳥取砂丘に植林をして成功し、
次はゴビ砂漠にチャレンジしたのでした。
最初に砂漠へ着いたときはさすがに並みの困難ではないと思ったそうです。

それでも立ち上がり、ボランティアを募って
20年かけて総勢5000人のボランティアと共に
今では見事なポプラの森をゴビ砂漠に作りました。
ポプラの木は全部で300万本に達するそうです。
最初はすぐに枯れたり、
せっかく育ったポプラが洪水で流されたりと
並みの苦労ではなかったそうです。
中国の現地の人たちも最初は「また日本人が侵略にきたのでは」
と思っていたそうです。
そして発起人の元教授が木を植える必要性を説明しても
現地の人は「木を見てても飯は食えん」と言ったそうです。
そこで元教授は現地の人たちも実際に植林に参加するようにしたんですね。

日本人スタッフの中にもいろんな人たちがいました。
造園業の社長だったある人は、
このとてつもなく困難な植林にすべてをかけて
社長職を部下に譲り、現地の現場監督につきました。
そして自分の植林の知識と技術を
他のスタッフに伝授していきました。

窓際サラリーマンだったある人は
日本での自分の役割がないことに絶望しかけていたとき
この植林のボランティアに参加したことによって
その人の思わぬ能力を発揮しました。
木の成長を助けるための大きな役割を果たしました。

「造園業の元社長は鬼のようだった顔がえびす顔になった」
「窓際サラリーマンは暗い顔が生き生きと明るい顔になった」
各々の役割分担をしっかり担い
そうしてポプラの木を育ててきたのでした。

それが今や300万本の森となり
森の隣には畑で作物が実っている・・・
森は砂漠の砂嵐を防ぎ、人々の生活を守りました。
現地の人たちも「ありがたい」と感謝し、
元教授を含めた大勢のボランティアの人たちは
中国の国家主席から表彰を受けました。

発起人の元教授は言います。
「やればわかる。やらなければわからん。
あきらめなければ必ずできる」
そうして不可能だと思われていた砂漠に森を作ったのでした。

元教授は今95歳。
率いる元社長も元サラリーマンも
「森は事足りるということはない。あればあるだけいい。
まだまだこれからだ」
とクチを揃えて話していました。

現在、ゴビ砂漠のあちこちに植林計画が実施されているそうです。

そういえば私の叔母の同僚も
夏ごろモンゴルへ植林に行っていたと聞きました。
モンゴルも砂漠化が進んでいるんだそうです。

1人だけの力が2人3人と増えていき
その分、果たせる力も増えていく。
不可能が可能になる。
すごいことです。

「ものすごい困難にぶつかった時、
これはやりがいがある!と思う。」

「困難が人を成長させてくれる。」

元教授と先のお2人のスタッフがそう話しておられました。
弱々しかった元窓際のサラリーマンは
とても力強いお顔をなさってました。
ボランティアに参加したことが、この方達の人生をも変えたんですね。

植林活動が盛んになってるようで
その価値が広く認められてる証拠かもしれません。
人間のせいで環境破壊は進むけれど
環境を変えていけるのもまた人間であることを忘れてはなりません。

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池田理代子さんの言葉

池田理代子さんの言葉

(私の過去日記からの抜粋です)
あの「ベルサイユのばら」で有名な漫画家、池田理代子さん。
現在は声楽家としても活動されてるそうですが、
40歳で音大を目指し、見事47歳で合格されたそうです。
これってスゴイですよね。

彼女の言葉でとても印象に残った言葉があります。
「人生にも締め切りがある」
そして、
「人生をあきらめたときから、あきらめない人生が始まる」
というもの。

人はいくつになってもやりたいことができる、
というのは、すべてに当てはまることではない。

体力的に無理になってくるものや
経験を積むという時間的に無理なものなどなど。

どこかで「始めるにはMax」というギリギリの「締め切り」がある、
と、彼女は言います。

彼女は、40歳のときに今までの自分を一度振り返り、
昔やりたかった「夢」を書き出したそうです。

そして、その中からすでに「締め切られたもの」を除いていき、
今の自分で始められることはどれかを選んだら
それが「音大生」だったのだそうです。

そしてもうひとつ。

人生をあきらめるということは、肩の力を抜くということ。

そうすると、楽に「自分を始める」ことができる。
初心に帰る・・・・みたいな感じなのかな。
一度リセットするっていうのかな。

これは私自身の経験でもあるのだけど、
キャリアや肩書きがあると得をすることも大いにあるけれど、
自分に詰まった時にはこれが逆に邪魔になるんですねぇ・・・・
池田理代子さんもおっしゃっていたけど、
「ああ、なぁ~んだ、私はこれっぽっちの人間なんだ。
だったら、どうせなら楽しいことしよう」
私もこの心境、とてもよく理解できます。

自分を卑下しちゃいけない、とはよく言われるんですけど
卑下とはちょっと違うんですよね。

若い自分、歳を取っていく自分、
その時々の自分にできることって、自然と変わっていくんですよ。

それが時間の流れだし、それは生きとし生けるものみな平等に変わるもの。
至って自然なことです。

若ければ経験から生まれる知恵は持ってないし、
年とれば若い頃のエネルギーは減る。

でも、それだからこそ老若男女それぞれにできることってあるんですよね。
その年代だからこそできることっていうのかな。
その時々に持ってる能力を発揮することが大事というか・・・

だから、等身大の自分を見つめるってとても大事。
遅かれ早かれ、そういう時期って誰にでも来るんじゃないかな。
一度とは限らないし(笑)。

自分の幸せを自分以外に求めてちゃだめです。
ソレが急になくなったとき絶望しか見えなくなります。
自分を大事にしましょうね。
(自分さえよければいい、っちゅーのとは違いますよ)

今日は「黄色いスペクトルの太陽」の日。
マヤン・オラクルでは<アハウ>。
黄色い太陽<アハウ>=普遍的な水・照らす(啓発)・生命 <全面降伏>
スペクトルの=解き放つ
何者でもない自分に一度帰ろう。全面降伏は全てをゆだねること。
生命の営みもまたゆだねる以外に術がない。
それは大いなる「流れ」。自分もその中の一部となって流れている。
何にも縛られず、ただ流れていく。そこにあるのはただの「自分」。

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「協力をささげる」ということ

「協力をささげる」ということ-「13の月の暦」のキーワード

(私の過去日記からの抜粋です)

先日、以前勤めていた会社の先輩から
1通の残暑お見舞いメールが届きました。
もうつきあいも長く、10年以上になりますが(注:現在では20年になります(笑)2010年現在)
今でも変わることなくたまに連絡を取り合っています。
その先輩も今年に入ってついに会社を辞めました。

宛先を見ると、あらまあ・・・・・・
私以外に数人の宛先へ送られてるらしく、
そのメンバーはすべて現在退職してる人ばかりでした。
いわゆるOB&OGってやつですか?
名前を見ただけで思わず懐かしくなりました。
そしてそう思ったのはどうやら私だけではなかったらしく、
その先輩の残暑見舞いメールから、
いつのまにやらメーリング・リスト状態になってました(笑)
(メーリング・リストとはメールを複数の人たちで共有してやりとりしあうこと)
みんなそれぞれ現在の勤務先の話とかその他の近況などを
おおまかに書いて送ってくれました。

みんなそれぞれの人生を送っているなぁ・・・・
がんばってるな。と思いながら
ついこのあいだまで一緒に仕事をしてたような感覚があるのに
時間はやっぱり経っているんだなぁ~・・・と、しみじみ。

以前勤めていたその会社では
みんな安月給な割にかなりコキ使われてました(涙)。
それでも長いこと勤めていられたのは
ひとえに人間関係がよかったからに他なりません。
とにかくみんな一生懸命仕事をするんですよ。安月給にもかかわらず(笑)。
いつも締め切りに追われる仕事だったため
会社で泊り込みの徹夜・・・なんてこともザラでした。
どこかのプロジェクトチームが修羅場に入っていると
たいていは他の部署からも応援がきて
みんなでいっせいに締め切りに間に合わせるようがんばったりしてました。
今思えば、私はあそこでチームで仕事をする楽しさを知ったんだと思います。
まあ苦しいことも多かったですが・・・

あるとき、締め切り間際にどうしても人手が足りず、
その先輩(主任でした)はある1人の後輩に仕事を手伝うよう頼みました。
ところがその後輩は
「それは私の仕事ではないのでできません。
私にもやらなきゃいけない仕事があるので」と言いました。

そうしたら先輩はこう言ったんです。

「その仕事の締め切りはいつ?明日?
でもこっちは今日中に終えなければいけないの。
明日はみんなであなたの仕事を手伝うから、
だから今日はこっちの仕事を手伝ってくれない?」

後輩はしぶしぶ手伝うことになりました。

そしてみんなでモーレツに仕事して
なんとかを終わらせることができました。
ほんとにギリギリでしたが、なんとか間に合いました。
そして翌日、後輩の仕事をみんなで手伝って
それも無事終わらせました。
お互いに無事間に合わせることが出来、
疲れてはいたけれど、みんな笑顔でした。
「まにあってよかったね。お互いおつかれさん!」と。
そしてしぶしぶ手伝っていた後輩も自分の仕事が終わってほっとしたのでしょう。
彼女も笑顔でした。
「ありがとうございました。助かりました」と。
みんなすがすがしい気持ちでその後打ち上げに出かけました。
(こーゆーときにタフだなぁとつくづく思うみなさんです(笑))

一時はかなりケンアクになった後輩と私たちチームですが、
お互いに協力しあうことでわだかまりが消えた・・・
すべて消えたかどうかはわかりませんよ。その人じゃないので(笑)
でも、その後輩からも先日メーリング・リストで近況を送ってくれたということは
やっぱりいい思い出になってるからですよね。
そんなメンバーが先ほどのメーリング・リスト状態を作ったわけです。

******あなたは○○をしてくれた。ありがとうね。
だから私はあなたに私のできることをするね。*******

「感謝の気持ち」が、次の「感謝の気持ち」を生みます。
みんなが嬉しい気持ちになります。
そして人の輪ができてきます。

私はあの会社のみんなと一緒に仕事をした日々を
きっとずっと忘れないでしょう。
みんなありがとうね。
そしてこれからもがんばってね。
そして時にはまた一緒に集まろうね。

今日は「黄色いスペクトルの戦士」の日。
マヤン・オラクルでは<キーブ>。
黄色い戦士=Kin76=大胆さ・知性・問う
スペクトルの=解き放つ
戦士は常に瞬時の判断力を問われるけれど、
目先のことだけでなくその先の目標をも見据えていけば
もっと大きな成果を得ることができる。
・・・と、マヤは言っております。
自分の枠にだけ囚われない寛容さが必要・・・ってことですね。

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依存症

依存症

(私の過去日記からの抜粋です。)

TVで依存症のことをやってました。

アルコール依存、ギャンブル依存、携帯依存、買い物依存、薬依存・・・
みんな共通していることは「不安」と「罪悪感」でした。
そうしないと自分を保っていられないという・・・

それでもなんとかその依存症から立ち直ろうとしている人たちを取材していました。
最近はダイエットが原因の依存症が多いみたいですね。
ネット依存も多いんじゃないかと思います。

かくいう私も数年前までは完全にネット依存でした。
厳密に言うと、ネットにつないで誰かと話す・・・
これがやめられなかったんです。
今思えば狂ってましたねぇ。
すでにその状態はもうずいぶん前に解消しましたが、
あの時の私をそうさせていたのは
もしかしたら環境の影響があったかもしれません。
その当時の仕事柄、誰ともろくに話さず一人でいることが多くて
帰ってきても誰とも話すことなく1日が終わる。
そんな日々でした。

簡単に言えば寂しかったんでしょうね。
誰かと話すことで自分の存在を実感したかったのかもしれません。

人は誰ともコミュニケーションをとらないと、
やがて死んでしまうそうです。
誰かに認めてもらうことで、自分を受け入れてもらえることで、
自分の居場所を見つけるのでしょう。

でも、自分の中身が充実してくると、
1人でいることに不安をあまり感じなくなります。
誰かと話すともっと楽しいだろうなとは思いますが、
「誰かと繋がらずに入られない」という不安感はありません。

ひとりでもいられる、ということは
孤独と仲良くなる、ということだと思います。
孤独は寂しい、と思うと
それが不安や恐怖になります。
でも孤独は自分だけに許されたどう使ってもいい時間、と考えれば
それほど嫌ではなくなると思うのです。

今、きっと多くの方が「孤独」を感じているのかもしれません。
もっと「孤独」を楽しめる余裕があるといいんですけど・・・
この余裕を持つことにすら罪悪感を感じてしまう人が多いのかもしれませんね。

あなたはあなた以外の何者でもないのです。
あなたはあなたでいていいのです。
生まれたての頃はただひたすら無邪気だったことでしょう。
その無邪気な心にいろんなものをくっつけて
それによって苦しんでいるのなら
その余計なものは取っちゃいましょう。
けれど自分自身をなくしちゃうのはいけません。
あなたのあなたであるせっかくの価値がなくなってしまいます。
「そんな価値ない」なんてことはありません。
あなたがあなたである以上
価値は立派にそこに存在するのです。


今日は「青い銀河の猿」の日。
マヤン・オラクルでは<チューエン>。
青い猿<チューエン>=魔術・遊ぶ<無垢さ・自然さ>
銀河の=無欠性を調和させる(型どる)
自分を見失いそうになったら、どこかで遊び心を取り戻してみよう。
子供の遊びはただ純粋に楽しむこと。それが一番自然な姿。
そこから今の自分に足りないものは何か、矛盾してるものは何かを考えてみよう。
・・・と、マヤは言っております。
あなたはどこか無理をしてはいないですか?

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